2017.09.14
絵本から抜け出してきたかのような、木の温もりある小屋型の佇まい。
中林ういさんの住まいの窓からは、遮るものがなく雄大な飯綱山の姿を眺めます。
「飯綱町の好きな所は、とにかく景色がきれいなこと。地域の方がきちんと手入れをしてらっしゃるから、こうした里山の風景が保たれているんですよね」
東京で生まれ育った中林さんは美大卒業後にバッグアーティストとして活動を始め、展示会や書籍の出版、テレビ出演など活躍しています。36歳まで暮らした東京を離れ、ご主人と息子さんと共に飯綱町に移住したのは2012年のこと。きっかけは、飯綱町の幼児教室に息子さんを通わせようと決めたことでした。
「東京で幼稚園を探しても、全然ピンとこなかったんです。そんな時に東日本大震災があって原発の問題も起きて、“東京で子育てするのが怖い”と感じて…」
息子さんにたくましく生きてほしいと願う中林さんは、幼児教室を見学したその日に“ここに入れよう”と心が決まったといいます。
思い切った決断のようですが、実は長野はご夫妻ゆかりの地。アウトドア好きのお二人は10年ほど前、「森を買ってツリーハウスを建てよう」と縁あって隣町の信濃町の森へ通っていました。
移住のネックになるのが仕事です。自宅での創作活動がベースの中林さんは、撮影や打ち合わせなど必要な時に東京に行くスタイルで仕事を続けることに。一方、建築関係の会社に勤めるご主人は移住にかなり難色を示しましたが、中林さんの猛烈な説得に応じる形で働いていた会社の長野支店に転勤。現在は長野市のオフィスを拠点に、県内の現場を担当しています。
「夫はいわゆる仕事人間で、仕事ばかりの毎日で、夫がこのままでいいのかという気持ちがあったのも、移住を決めた理由ですね。私自身もずっと東京で暮らしてきて、気分を変えたいのもありましたし。30代半ばで、ちょうどそういう頃合いだったんでしょうね」
移住後も相変わらず多忙なご主人ですが、ときどき早朝に飯綱山に登り、温泉に浸かってから出勤するなど「エクストリーム出社」を楽しんでいるのだそう。さらに、ストーブ用の薪割りや草刈り、雪かき、畑の土を運ぶ力仕事でご主人は大活躍。男の人の腕力や体力がないと、田舎暮らしは厳しいと思うと、中林さんは話します。
中林さんが飯綱に移住して良かったことの筆頭に挙げるのが、自然が美しいこと。そしてリンゴのおいしさだといいます。
「飯綱、特に三水地域のリンゴは卒倒しそうなくらい美味しくて! そのほか桃や夏野菜、お米と、農作物のおいしさにはびっくり。しかもみなさん分けてくださるんです」
町の人が排他的ではなく親切な人が多いことも、移住者としては心強かったと振り返ります。お子さんがいたため、お年寄りに話しかけられたり同じ年頃の子どものいる家族と話す機会に恵まれたのに加え、積極的に土地になじもうと努力していたそう。
「東京での近所付き合いは回覧板を回す程度でしたが、移住後は町の行事に積極的に行き、草刈りや秋祭りといった役回りもしっかり参加しています」
苦労したのは、やはり寒さと雪。最初の冬は、アパート住まいで、シャンプーが凍って驚いたり、家の中が寒すぎてスキーウェアを着て過ごしたりしていたそうです。
移住後3年ほどは借家で暮らしていた一家ですが、2年前に新築を計画。設計・監理は、イメージにぴったりだったという「暮らしと建築社」。施工は地元の工務店にお願いしたいと、「ツチクラ住建」に依頼しました。
「東京の家は建ててくれた大工さんが近くの方で、何かあるとすぐに来て直してくださっていました。そういったメンテナンスの重要さは知っていたので、施工は何があってもすぐに対応してくれる町内の会社にお願いしたいと考えました。薪ストーブの暖房で暖かくて、ゆったりしていて…いまの家に満足しています」
移住を考えている人へのアドバイスを聞くと、
「分からないことがあったら、地元の人や移住先輩に聞くのが一番。移住してきたからにはたくさんの人に触れ合って、助けてもらうのが良いと思う。そして自分が慣れてきたころ、何か恩返しができればいいと思うんですよね」
そう話す中林さんは近い将来、牟礼駅前の古い建物を使ってギャラリー併設の手芸雑貨店を開こうと計画中です。
「町おこしの一環とまではいかないですが、町に少しでも人を呼んで、多少でもお金を落としてもらえたら。それに、素敵なお店が増えれば若い人も住みやすくなると思うし、「こういうお店があるから引っ越してこようかな」と思うきっかけにもなるでしょう。私たちの世代で頑張れば、子どもの時代にはもっと町が良くなるのかな、と思っていて」
飯綱町への愛情あふれる中林さんの言葉。町の魅力がまた一つ増えそうです。